2021年4月28日

【予約制】SG.style モデルスペース完成見学会

こちらのイベントは、終了しました。またのお越しをお待ちしております。

5月15日(土)・16日(日)

①10:00~11:30
②13:30~15:00
③16:00~15:00

3部制で行います。
コロナウィルス感染防止の為、
各回1組様限定とさせて頂きます。

ハピスタ.png

下記の予約ページ、または
TEL 092-408-7648まで。  
お気軽にお問合せください(^^)/

2021年4月13日

ゴールデンウィーク休業のお知らせ

誠に勝手ながら、以下の期間、ゴールデンウィーク休業させて頂きます。

2021年5月1日(土)~5月5日(水)

メールでのお問い合わせ及び資料請求につきましては、
2021年5月6日(木)以降、順次対応させていただきます。


お施主様、OB様のお問い合わせにつきましてはお電話にてお受け致します。

下記電話番号にてお問い合わせくださいますよう、宜しくお願い致します。

⇒092-408-7649

今後とも一層のご愛顧の程、お願い申し上げます。

社長 history

社長historySG.style
幸光技建株式会社
代表取締役
春本 光大


春本家の長男として誕生。

昭和61年11月18日

筑紫野市にある「ながかわ産婦人科」にて、
5人兄弟の2番目の子で、長男として誕生。

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太宰府市で育ち、太宰府西小学校・太宰府西中学校へ通いました。
両親は地質調査会社の社員で、2人は職場恋愛をして結婚したそうです。
母は結婚後専業主婦としてずっと家にいて、私の帰りを待ってくれていました。
愛情溢れる両親の元で少し多めの4人の兄弟と共に育ちました。

順風満帆に小学校4年生を迎えたある夏のこと、あるターニングポイントとなる出来事が起こりました。

大工への道のり

私には尊敬する母方の祖父がいます。
祖父は、少年飛行兵の一人として、特攻隊に入隊すべく訓練を重ねていた時に終戦を迎えたそうです。
祖父は当時の事を「これから祖国の日本はどうなっていくのか、自分は自決すべきか、人生が真っ暗になった。」
と話してくれました。

社長history

その後祖父は建設省に入省し、今でいう国土交通省で働いていました。
定年退職後は、祖父の趣味である作詞をしていたのを子どもながらに覚えています。
後に知ったのですが、祖父は眞はじめの名で「筑紫野市歌」「筑紫野中学校歌」「春日野中学校歌」
の作詞を手掛けていました。「筑紫野音頭」の作詞をされている真次茂子は私の祖母です。
愛妻家だった祖父からのプレゼントで、俗にいうところの「ゴーストライター」なんだそうです。

そんな祖父からは、書道や日常マナーなどを厳しく教育されました。

小学校4年生のある夏の日、当時私は月に1度は祖父の家に預けられる生活をしていました。
そんなある日の事、祖父からある事を質問されました。今思えばその一言が私のターニングポイントとなります。
その一言とは


「将来の夢は決まったね?」


当時、怖い祖父に質問され、私はとっさに「決まってないとは言えない、、、」という感情になりました。
僕の頭の中では、「仮面ライダー、、、ベジータ、、、ドラえもん、、、なんて言えないよな、、、
そういえば家のリフォームをしてるな。大工さんカッコよかったな。」

「大工さん」

これが私が大工になったキッカケでした。

ここで答えればもう質問されないだろうと思っていた私の考えは甘く、毎月同じ質問をされ、毎月「大工さん」
と言い続けました。そのうちに将来を想像すると大工になっている事しか考えられなくなっていました。

大工の修行から独立へ

中学校3年生の進路相談の時に、私は大工の弟子入りを希望していました。
しかし、祖父から「高校は出ておきなさい」と言われ、筑紫台高校の建築科に進学しました。
高校に進学し、高校で知り合った友人から、「部活入らん?」と言われ、「どうせ入るなら弓道をしてみたい」
といって二人でその気になっていましたが、家庭の事情で私は帰宅部を選びました。
余談ですが、友人は2年生の春に、弓道個人で日本一となりました。僕もやっておけば、、、(笑)

そんな普通な高校生活を送り、卒業後は太宰府市にある「テシマ技建」に弟子入りさせていただき、修行の期間が始まります。

テシマ技建での生活はきつくて辛い事もたくさんありましたが、当時、篠栗にある「南蔵院」や
太宰府にある「太宰府天満宮」の工事にも携わっていた会社だったので
比較的、いや圧倒的に腕の良い兄弟子8人に鍛えられ、良い修行期間となりました。
そして5年間の修行後、弟子上げをさせていただき晴れて職人の道へ。

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その2年後、独立をさせていただきました。独立のキッカケは、一言で言うと「時代の変化」です。
当時、弟子の頃は家の骨組みとなる部分を全て「手刻み」でおこなっていたテシマ技建も
社会の合理化が進み、世間では工場で「プレカット」をするのが主流となっており
また、リーマンショックの影響により仕事が激減。
大所帯だったテシマ技建でも仕事が減り、結婚を考えていた私は独立を決意しました。

社長history
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そして独立を決意した頃、車で帰宅中に交際中の彼女から電話がありました。
「妊娠したみたい」
頭が真っ白になりました。頭が真っ白すぎて米の山峠を車で下ってる途中の記憶がありません。(笑)

僕は大好きな彼女と結婚する事は意識していたので、嬉しさが先立ちましたが、
「父親になる資格はあるのか、幸せにできるのか」
この思いが頭を駆け巡っていました。
すでに独立する事を親方に言ってしまったので不安がMAXになりました。
しかし、どうせ結婚するなら、子の親になるなら、
「幸せにしてやる」
この決意ができたキッカケとなりました。

運命は信じないけど、この時ばかりは運命ってすごいと感じました。

筑紫野市にこだわって

独立をしたとはいえ、私は個人事業主の一人親方の大工として独立しました。
その頃弟2人(双子)が中学校卒業後私に弟子入りしました。現在一人は後に別の道を歩み、一人は現場監督としてSG.styleにいます。

そして独立して1年後にテシマ技建の頃からの知り合いの職人である草野大工が仲間入りして創業当時は4人で「幸光技建」
としてスタートしました。

なぜ「幸光技建」なのか。
私は、家づくりを通して家族が幸せになってほしい。と強く思います。
なぜなら、人生でおそらく一番高価な買い物を、一生に一度の買い物をしようと思う時は家族が幸せな時に
考えるのではないでしょうか。「そろそろ離婚しようかしら」なんて考えている人が家づくりを考えないでしょう。
そんな幸せな家族が、家づくりをして不幸せになってほしくないのです。

幸せを提供するのなら、家づくりをする私たちがまずは幸せにならなければ。
そう思いました。

そう考えていた時にふと思い出したのが、父方の祖父の会社でした。
父方の祖父が、軽運送の会社を経営していて、社名は「三光運輸」。
由来は祖母の名前の三千代から「三」の一字と、祖父の名前の武光から「光」の一字をとって命名したそうです。

この名前の由来を小学生の時に知っていて、仲の良い祖父母を見ていて「あんな風になりたいな」と考え
私もそれを受け継いで

私の妻の幸枝から「幸」の一字と、私の光大から「光」の一字を採用し「幸光技建」と名づけました。


そんな中、ある出来事が起きます。

祖父の他界
祖母は僕がテシマ技建に所属していた頃にすでに他界していました。
愛妻家の祖父はそれからすっかり元気がなくなり僕が独立して約1年後に他界しました。
他界する前日に病院にお見舞いに行って、苦しそうに祖父が「苦しい」といった事を今でも覚えています。
僕の人生で祖父から初めて聞いたネガティブな言葉でした。


その後、祖父の家で幸光技建がスタートしたのは、実は僕が「大工になりたい」と言った小学生の頃、祖母が言った一言がキッカケです。
それは「大工さんするなら加工場が必要やろうからこの家はあっくんにあげるよ」と祖母が言っていたからでした。

社長history

僕の大好きな祖父母の想いがつまったこの場所で、工務店を経営する事が、祖父母への恩返しになると考えております。
そして、作詞家として筑紫野市に名を遺した祖父の想いを継ぎ、筑紫野市を拠点とする事が私にとっての祖父や親戚、そして家族への恩返しなのです。
そして祖父の歌詞を採用していただいた筑紫野市への恩返しでもあります。

ずっと変わる事のない「家づくり」への想い

幸光技建は「職人の技でお客様を幸せにしたい」という想いで2011年に開業いたしました。

日本の昔ながらの住宅は100年という長寿命でした。

現在は木造住宅の寿命は約30年と言われています。

町の大工の工務店が失われていき、本物の家を提供できない事が理由かもしれません。

また、本物の素材を使わない流行を取り入れただけのデザインや間取りも、
年月とともに魅力が色褪せていき、建て替えのサイクルを縮めることにつながってきました。


私の人生は、家族や親戚、職人さんやまわりの方々に支えられて今があります。
特に祖父母の他界は衝撃で、もっと健康で長生きしてほしかったと今でも思います。
家づくりに携わる者として、大工として「木」や自然素材にこだわる事は当たり前ですが、
いろいろと勉強していくにつれて、自然素材がいかに健康に密接に関係しているかという事を知りました。

私は幼い頃、アトピーと喘息持ちで育ちました。
経験がある方はご存じの通り、アトピーは本当に痒くてイライラするのです。幼い私はすぐ泣く子でした。
泣けば泣くほど喘息が酷くなりダブルパンチでイライラしていた記憶があります。

しかし、当時もっとも苦労したのは両親だろうと今では思います。
ずっと私はTHE泣き虫だったので。泣き虫のプロ。今でも少し感動したらすぐに泣きます。(笑)

そして、家と健康には密接に関係がある事を知った私は、職人の得意分野である自然素材を標準仕様にしました。

私には愛する妻と子供が2人います。特に子供には「健康で長生きをしてほしい」そう思うのは私だけでしょうか。

一生に一度の買い物をして、ご家族に不健康にはなってほしくない。

そう考え、全ての家にSG.styleは自然素材を取り入れた家づくりをしています。

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